作り方
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2001年にイタリア文化遺産指定のヴェネツィア、サンマルコ広場の近く世界的に名高いバー・レストラン『ハリーズ・バー』
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ヘミングウェイ、トルーマン、ロスチャイルドなどが愛したお店。オーナーはアメリカ系イタリア人で1931年開店創業者
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Giuseppe(1900-1980)父ジュゼッペが4歳時、一家はドイツに働きに行くが第一次大戦勃発の為戻り兵隊に徴収。
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アメリカ系イタリア人2代目ArringoCipriani(1932)の父
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1938年に人種法の公布で「ユダヤ人の入場禁止」という札の張り出しが定められたが、ハリーズ・バーではこの札
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をキッチンの入り口ドア前に張り出した。第2次大戦下で店は押収され、船員の食堂に変えられたが戦後にはまた元の営業
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エウロペアというホテルのバーテンダーチプリアーニには、独立してヴェネツィアでトップの店をつくりたいと願望。
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ある日、ホテルバーの常連客(叔母と一緒にアルコール依存症を治すために滞在していた)アメリカ人学生で資産家の息子
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ハリー・ピッカリングが久しぶりに顔を見せる。ハリー・ピッカリングが久しぶりに顔を見せる。
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心配していたチプリアーニが声をかけると、ハリーは叔母と喧嘩して叔母はハリーを残してアメリカに帰ってしまったがハリー
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はお金がなくて、アメリカへ帰国できない。と答えた。
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チプリアーニは店の開業資金に貯めていたが費用が多額で、独立を諦めかけていた。そこで彼はハリーに1万リラを貸す。
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数カ月後、ハリーはヴェネツィアに戻り、借りた金額に利子を加え4万リラを加えた計5万リラという大金をチプリアーニに渡した
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ハリーの恩返しでチプリアーニは1931年5月13日所船のロープや索具の貯蔵庫建物に店を開業。店名に青年の名を入れた。
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カクテル「ベリーニ」はジュゼッペ・チプリアーニが生んだ名作。白桃のピューレをヴェネト州特産ぶどう品種グレーラ
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のプロセッコスプマンテ。華やかに爽やかに盛り立て、上品な甘さで魅了。ベッリーニの描いた聖人の外衣の色を思い出し
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カクテル名はルネサンス期ヴェネツィア派画家、ジョヴァンニ・ベリーニ(1430頃−1516)の名。
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1948年にヴェネツィアで開催されたベリーニ展を記念して創作
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1950年、常連客アマーリア・ナーニ・モチェーゴ伯爵夫人が体調を崩し、医者から食事制限され
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加熱調理の肉料理も制限。チプリアーニは、レアの仔牛フィレ肉を薄切りにし、
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レモンの酸味にマヨネーズとマスタードを合わせたソースで仕上げ、伯爵夫人にすすめた。口にした彼女は歓んだ。
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1963年ベリーニと同時代ヴェツィア派画家ヴィットーレ・カルパッチョ(1465頃-525頃)生誕500周年回顧展が開催。
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その時に売り出した説。皿の配色が画家の特長的な赤と白の色づかいを想起させれ、料理名に「カルパッチョ」とした。
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古くからあるピエモンテ地方料理を彼がアレンジしたものだともいわれている。
2代目1932年生アリンゴ・チプリアーニ - 25
戦争終了後彼は給仕人として外国でも働きイタリア・ヴェネツィアに戻りホテル・エウローパ&ブリターニアのバー・マンとして働く
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